乳がんカフェ

2017年大きなシコリが出現し乳がん摘出手術を受けました。乳がん手術を終えても怖さはいつもどこかにあります。まだ慣れないシリコンおっぱいと共に、ひと息つきながら経過を綴っていきます

乳がん腫瘍マーカーCA15-3 入院中術後初の採血

 

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入院中に一度は拒否した腫瘍マーカーの採血。

 

腫瘍マーカーCA15-3に挑む

 担当医が腫瘍マーカーを測ろうと言った日から数日後の朝、今日、採血してもらおうと決めた。乳がん手術後、次に待ち受けるは病理検査の結果と構えていたものの、担当医の腫瘍マーカーを測ろうという予想していなかった言葉に心の準備が間に合わず拒否した。測らなければ始まらないか・・・と心の準備?開き直り?ができ、午後になったら採血を申し出ようと決めた。

 

そう思ってもなかなか言い出せない

午後になっても腫瘍マーカーが変わらず3桁だったり、上がってたりと結果が悪かったらと考えると、なかなか言い出せず、夕方になろうとしていた。西日がさす蒸し暑い病室を出て院内カフェに行った。ノンカフェインにします!と精神科の先生には言ったけど、アイスコーヒーを頼み、設置されている長ベンチに腰を下ろし外を眺める。夕日が沈んでしまうよ。今日が終わってしまうよ。とほぼ残っているアイスコーヒーを持ち、パン2つとスープを追加で買って病室へ向かった。病棟の廊下で担当医の姿を見つける。なんというタイミングだ。

「先生、腫瘍マーカー測って」まさかの私の言葉に驚いた表情「測る?わかった。いつ?明日?」「今測って。今」私自身、先延ばしにしたら気が変わってしまいそうだった。「今?今?分かった」と病室で採血されるのを待った。すぐに採血しに来てくれるかと思ったけど、来ない。買って来たスープを飲んで待った。ミネストローネを味わう余裕もなく腫瘍マーカーのことを考えていた。しばらく経ってから看護師が採血しにやってきた。

 

腫瘍マーカーの結果を知りたいのか知りたくないのか

結果を待つ間、落ち着かない。どれくらいで結果がでるの?もうすぐ夕食だというのに落ち着かず買ってきたパンを1つ食べる。

遅い、遅い、遅い。夕食も食べ終わったのに、まだ結果が来ない。遅い時間の採血だったから結果は明日の回診時に教えてくれるの?やっぱり結果が悪かったからすぐに教えに来ないんだ。いい結果だったら、きっとすぐ伝えにくるはず。先生はそんなに暇じゃないか。もしかして、もう帰っちゃった?夕食を食べたばかりだと言うのに買って来た残りのパンを食べる。何かしてないと落ち着かない。そんな時の為に買ったパンだ。

 

 乳がん手術後初のCA 15−3の結果は

病室のドアが開くと、担当医がいつもより大きな声で私の名前を呼ぶ。返事をすると共にカーテンが開き「下がってたよ!下がってた!」と言いながら近づいて来た。「いくつ!」と聞く。「48!下がってたよ!」48の数字を聞いて先生のようなテンションにはなれない。(基準値23以下)「48じゃダメじゃん・・・」「でも手術してここまで一気に下がってたってことは、原因は乳がんの腫瘍だったってことだと思う、これからもっと下がるかもしれないよ」「本当・・?」と微妙な数値で喜べない。ちなみにCEAの腫瘍マーカーは4。

 

乳がん腫瘍マーカーCA15−3が高い患者さん

「48って・・CA15−3が40台で転移が見つかったという方のブログの方もいたし・・・」と言うと「腫瘍マーカーは人それぞれだから。僕の患者さんで、CA 15−3の腫瘍マーカーが基準値を超えて高い人がいるけど、もう何年もどこにも転移が見つからない人もいるんだよ。だからそれはその人の基準値として見てる」と希望言葉。「その方の数値はいくつくらい?」「いつも30あたりかな」「やっぱり私より低い・・・」と落ち込む。「でもまだ下がるかもしれないよ」と再度希望をもらう。

下がったのは、喜ばしいけれど、基準値を超えているので不安は消えない。私の手術後初のCA15−3の腫瘍マーカーは不安を残す形の結果だった。

三人目の精神科医登場 睡眠薬と悪夢の関係

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結局、精神科医処方の睡眠薬を飲んでも1時間ほどしか寝れず、過去の封印していた記憶を思い出し朝が来た。

 

3人目の精神科医登場

「眠れなかったって?」と乳腺外科の担当医が朝の回診にやって来た。もう、薬いらない。もう飲みたくないと昨夜の症状を書きとめた薬袋を渡した。そして3人目の精神科の先生がやって来た。

 

自分が異常者に思える

不眠や薬のことより、麻酔の恐怖や過去の記憶を思い出したり、胎児の姿とか、私はイカれてるのでは?と思っても、そんなことを打ち明けたくはなく、昨夜の症状は薬の副作用であることなのか?聞いてみると「いや~。あんまり聞いたことはないですね」と言われ、「眠剤を飲んでも寝れなくて、精神科にまで掛って、強い薬をもらっても飛び起きて、自分が異常者に思えてきた。でも、もう薬飲みたくない」と言うと「乳がんの病気がわかった時は、ショックでしたでしょうし、それにこんなに大変な手術をしたんだから薬がうまく効かないことだってありますよ。人の出入りもあるし、病気や手術で大変な思いをしてるのに、環境の変化で僕だったら本当に大きなストレスを感じると思う」と、今回の精神科の先生は薬そのものの症状や効果の説明などは一切することなくメンタル面で同調してくれる話をする先生だった。

 

睡眠と乳がん手術後の体の回復

「寝れないことにストレスを感じていない」と言うと「体の回復には睡眠も大切なんですよね。医師の立場からすると、ちゃんと睡眠もとって欲しいなとは思うんですよ」と返ってきた。確かに睡眠をとらないせいなのか、病院食は全て完食し、さらにやることがない私はコンビニや院内のカフェなどで買い食いをしているにも関わらず入院中に体重が減ってしまった。

 

睡眠薬と悪夢の関係

過去に耳が聞こえなくなった時に睡眠や安定剤などの薬を処方され、悪夢を毎晩見続けたとことを話してみた。睡眠薬と悪夢って関係があるか聞くと「そういう副作用もあるかもしれないですね」と断言のない返事が返って来た。「形成外科の先生からもうすぐドレーンが外れると言われたので、退院間近だと思うし、眠剤はもう飲みたくない」と睡眠薬は飲まないことになった。退院後、睡眠障害が続くようなら外来に来てくださいと3人目の先生の外来診察日を教えてくれた。

 

睡眠薬で悪夢を見る人結構いるじゃない

先生がいなくなった後、すぐさまネットで「睡眠薬 悪夢」と検索すると睡眠薬で悪夢を見るなどの書き込みが多かったので、安心した。薬によっては副作用にも「悪夢」と書かれてるものもあった。ただ以前のような頭で見る悪夢とは違って、この時は体や心の中がゾワゾワと気持ち悪くて飛び起きた。これも悪夢なのだろうか。

睡眠薬の処方とはいえ、乳がんになって、入院中に精神科にまで掛かるったなんて思ってもみなかった入院生活だった。

乳がん腫瘍マーカー測定拒否からの精神科 

 

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腫瘍マーカーを拒否し、再就職のこと、お金のこと、親の問題、PET -CTで赤く光っていた子宮、高値の腫瘍マーカーCA15−3、頭の中に浮かんだ胎児の姿、次から次へ浮かんでくることを考え眠れることなく朝が来た。

 本当にやって来た精神科医

 朝食後部屋でコーヒーを飲んでいると精神科医がやってきた。まさか、本当に精神科の先生が来るとは思ってもいなかったので驚いた。だって転院前のM先生に診てもらう、弟に相談する、精神科に相談するかの3択で、消去法で残るは『精神科』だったから。

何を聞かれるの?まさか、頭の中に浮かんだ胎児の姿が担当医に見透かされて精神科?と警戒しながら先生に挨拶をしたが、失礼ながら、どう見ても先生の方が心に闇がありそうだった。「眠剤が効かないようですね?全く眠れませんか?」と聞かれ「朝方30分ほど眠れます」と答えると、すかさず「今飲んでいるその飲み物は何ですか!」とマグカップを指を差した。コーヒーだと答えるとコーヒーの覚醒作用について難しい話をされ、しまいにはさっき、自分もコーヒーを飲んだから手が震えてると手の震えを見せられた。先生は何故に飲んでしまったの!?と疑問を抱きながら「わかりました。ノンカフェインにします」と話を終わらせ精神科の先生は出て行った。

たまたま消毒に来た看護師さんもドアの入り口で精神科医の話を聞いていて、先生がいなくなった後「なに?なに?え?先生の方が手の震えヤバイよね?」と看護師さんの言葉で笑いになった。

 なんで精神科の先生来たんだろう?と看護師さんに昨夜の担当医とのやり取りを伝えると「毎日眠れてないでしょう?おそらく担当医が出せる眠剤は限られてるから、それ以上強い薬を出すためには精神科医の診察が必要だからだと思うよ」と説明された。その夜、新しい眠剤が出されたが変わらず眠ることなく朝を迎える。

 

2人目の精神科医登場 

ナースステーションの目の前の私の病室。毎晩電気は消すことなく巡回や、深夜ドレーンの廃液を回収に来る看護師を起きて出迎えていた。新しい眠剤が処方されても変わらない夜を過ごし翌朝、別の精神科の先生がやってきた。「眠れないなら、寝なくてもいいと思うんですけど・・」と私自身、寝れないことにストレスを感じていないことを伝えたが「あの薬で寝れませんでしたか?」と会話は交わらず、薬を飲んだ時の症状などを聞かれ先生は部屋を出ていった。精神科の先生って話やすいイメージをもっていたけど違った。その晩、また違う眠剤が出された。

 

睡眠薬の副作用?

 どの眠剤を飲む時も、ナースコールをして看護師に伝えてから飲む。新しい眠剤を飲みしばらくして眠りにつけた。1時間ちょっとの眠りで体がゾワゾワとしてベッドから飛び出す。薬で体がフラつき、手をついて転ぶ。フラつきながら冷蔵庫の500mlのペットボトルを飲み干す勢いで飲んだ。水を飲んでも顔を洗っても体の中から滲み出るゾワゾワとする気持ち悪さ、怖さが止まらない。看護師さんに暖かい湯が飲みたいことを伝えダイニングルームへ行く。薬が効いているからだろう体が重かった。ダイニングルームでお湯を冷ましながら口にし気持ちを沈める。部屋に戻り薬袋に今ある症状を書きとめた。

 

封印していた記憶と麻酔の無音

 落ち着きはじめた頃、昔の記憶が思い出されていく。私は昔、突然、耳が聞こえなくなったことがある。それは覚えているというか、知っているというか、自分の身に起きたことではなく、他人事のように、そういえば耳が聞こえなくなったことがあったくらいに記憶の隅においておいたものだった。だから耳が聴こえなくなった原因はどうして?なんて思い出さずに過ごして来た。

 過去の記憶が返ってくる。激しいショックで一夜にして耳が無音になった。左耳だけは少しだけ拾える音があった。耳が聞こえなくなる前夜、突然の激しい眩暈で砂利道に顔面から倒れ込んだ。その次の記憶は家にいる。どうやって家に帰って来たかは今も思い出せない。目が覚め、音が聞き取れない世界は恐怖だった。耳の聴力は時間が勝負と聞いたことあり、病院へ急いだ。処方された眠剤、安定剤の副作用なのか悪夢を毎晩見続けた。今回の手術で麻酔がかかる時、耳の感覚がなくなってくことが怖く感じたのは、あの時の恐怖と重なったからか?睡眠薬をいくら飲んでも眠ないのは、悪夢を見るという抑制でも働いていたのだろうか。

 

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乳がん腫瘍マーカー測定拒否とイカれた頭

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特にやることもない入院生活、次に待ち受けるは病理検査の結果とスマホで検索魔。針生検の結果と病理検査の結果で違いがあってショックを受けることもあることや、術前から高値の腫瘍マーカーを調べ、高値でいいことなど一つも書いてないと落ち込んでは安心したいから検索を続ける毎日だった。

 

乳がん手術入院中の不眠生活

 そんな検索をして不安になるからか、環境の違いからか入院中は不眠におちいった。夜は眠れず、朝方4時や5時に眠りにつけても30分ほどで目が覚めてしまう。巡回に来る看護師さんに「まだ寝れない?」と心配され睡眠薬が処方されるも寝れず、毎日違う睡眠薬が出るようになった。私的には「寝れなきゃ寝なきゃいい」と思いながら個室の特権と深夜テレビを見続けた。昼間は院内を歩き回り、食欲も旺盛、寝れない以外なにもない。

 

乳がん腫瘍マーカー測定を拒否

 ドレーンの排液も少なくなった頃、担当医が「腫瘍マーカーを測ろうか?」とやって来た。次に待ち受けるは退院後の病理検査の結果と心の準備はしていたものの、入院中に腫瘍マーカーとは、突然の言葉に驚き断る。「手術で下がってるかもしれないじゃない?」ごもっとも言葉だけど、下がってなかった時、万が一、上がってた時のことを考えると怖くてたまらない。「測ろうよ」「いやだ。下がってなかったらどうしたらいいの?」「その時はその時考えればいいじゃない」「その時に考えれば・・って、他人事だからよ・・・下がってなかった時の、その考えって?」と問うと担当医は冷静な顔で「PET-CTで光ってった子宮を疑う。婦人科に回す」と応えた。「乳がん手術終えたばかりで今度は子宮ガンの疑い?!」もう耐えられない。

 

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MRI禁止のエキスパンダーが入ってますけど

 「先生、婦人科を受けたとして、私の胸にはエキスパンダーがもう入っている。MRIはとれない。子宮の病気の疑いが濃くなってMRI検査をするために、入れたばかりのエキスパンダーどうするの?とるの?それとも再建手術を終えるまでMRI撮影できずに数か月モヤモヤと待つの?だったら、乳がん手術を受ける前に撮っとくべきだった。」「それは・・・」と担当医も言葉がなくなる。別に担当医と喧嘩をしたいわけではない。先生も考えてくれているからこその検査だというのは分かっている。ただ、今は心が無理。MRIも無理。

 

医師の仕事 患者の心

 「じゃあ、どうするの?このまま腫瘍マーカー測らないの?」と先生は突っ込んでくる。「今は乳がんの手術を終えた。それでいいじゃない。それで元気になれる気がするんだから、今はいいじゃない」400を超えるCA15-3の腫瘍マーカーが術前に測定されているのだから、先生の言うとおり測定すべきことも分かっている。だけど、乳がん手術を終えて数日、エキスパンダーが入って小さな膨らみがあっても、毎日消毒される間、顔を横に向け胸の傷もエキスパンダーが入った胸、残った乳頭、乳輪をまだ見ることにができず背けている。エキスパンダーの胸や傷、病理検査の結果、突きつけられるものが待っているのに、腫瘍マーカーの高値、子宮ガン、今はもうこれ以上突きつけないでくれ。もう少し待って、ひとつ、ひとつ向き合わせて。

 

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研究材料にどうぞ

 「先生。腫瘍マーカー測りたいんでしょ?」と問う。「うん。僕としても興味がある」の正直な言葉に思わずフフフっと笑ってしまった。「なら、いいよ。調べて、でも私に結果は言わないで」「それは、ダメだ!患者に報告する義務があるんだから」「いいじゃない。患者の私が好きに調べてください。と言ってるんだから」「いや、そういう訳にはいかない」「測るのはいいよ。でも今は結果を聞きたくないんだから、先生が勝手に調べればいいじゃない」測ることを承諾しても交わらない。

 

乳がん以外に心も頭もイカれた?

「もう、本当いやだ。もう本当に病気になりそう!」と言った言葉に先生と顔を見合わせ「あれ?ちがうね。もう私、病気なんだよね?」と笑い「採血していいから、結果は言わないでよ。今は聞きたくない」と繰り返した。「そういう訳にはいかないんだって。じゃあ弟さんに言う?」の言葉に先生の顔をしばらくジッと見てから顔を横に振り「もう、いやだ・・・。弟?やめてよ」と目を閉じ両手で頭を抱え込んだ。

「もう・・戻りたい」と頭を抱え込んだまま呟く。「どこに?」の言葉にハッとする。浮かんでた映像は、へその緒がつき水の中に浮かぶ胎児の姿だった。母のお腹の中?なんで?と自分でも驚いていた。

「どこに戻りたいの?転院前のM病院?お家に?どこに戻りたいの!?」と強く聞かれ、無言で首を横に振り正気を取り直す。

「M病院の先生のところに戻りたいの?それとも弟さんに結果を伝える?精神科の先生に相談する?」と突っ込んでくる担当医の言葉に「精神科」とボッソと答えた。「わかった」と部屋を出て行く担当医は最後に「病気と向き合ってください」と頭を下げていった。独身一人暮らし、ながらワーカーになれない環境下で仕事も辞め、こんな時に家族の事情が盛りだくさんの中、弟以外に秘密の乳がん。気が狂いそうになるほど、今向き合ってるのよ・・・。と頭に浮かんだ胎児の姿を思い出し、私頭イカれた・・と眠れない眠剤を飲みテレビをつけたまま朝を迎えた。

 

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乳がん手術入院中ベッドから起き上がるコツと入院生活便利グッズ

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S字フックとミニトート

 ベッドでの生活が多くなると思い、ベッド周りの片付けにミニトートを持って行った。寝たまま片手で出し入れするのに深めのバックより浅目のバックの方が使いやすいかもと、ポッケト数も多いこのミニトートで正解だった。テレビのリモコン、スマホ、WI-FI、綿棒、顔用ウェットシート、飴やガムなどを入れてS字フックを使ってベッドの手すりにかけていた。コンビニやカフェに行くときにはスマホとお財布を入れて使った。

 

大き目のエコバック

 独身の入院生活、洗濯物を持ち帰って洗濯してくれる相手もいないので、病院の最上階にあるコインランドリーを何度も使用した。洗濯物を入れて持ち運びするのに大き目のエコバックは役だった。洗濯用洗剤、柔軟剤も1回づつになっている物をあらかじめ持って行った。

 

コインランドリー乾燥機代節約方法

洗濯物を乾かすため、乾燥機を使うけれど、その時、乾いたバスタオルを2枚ほど広げて乾燥機に一緒に入れると乾燥時間の短縮になる。入院中、乾いたバスタオル2枚はなかったので、バスタオル1枚と小さいタオルを3枚ほど一緒に入れて乾燥時間を短縮した。

 

大判ストール

 廃液のドレーンとは長い付き合いになる。病院が用意してくれたドレーンポーチを服の外から斜め掛けにしてトイレに行く時も、どこに行く時も一緒だ。前開きのボタンの間から飛び出ている管やドレーンポーチは大き目のストールのおかげでスッポリ隠すことができ、病院内のコンビニやカフェでお茶をするのに人目を気にせず過ごせた。それに、手術した右胸はガーゼなどで覆われているので大丈夫だけど、健全の左胸はノーブラ状態だったので大判ストールは役だった。

 

蓋付きマグカップ

 紅茶、ハーブティーのTパック、ドリップコーヒーなどを持って入院した。病棟のダイニングルームの給湯器でお湯を注ぎ病室まで、こぼさず運ぶのに便利。最初は持って行くか迷ったけど、100均のプラスチックの蓋付きマグカップを用意してってよかった。毎朝、清掃員の方がモップ掛けに来るけど、蓋をすれば埃も気にならない。

 

乳がん手術後ベッドから起き上がるコツ

 右胸の乳がんを手術したので、右腕を使うのが不自由。ベッドから起き上がるとき、リクライニングベッドを起こし左手でベッドの手すりを掴んで引っ張り上げる力で起き上がっていた。左腕に力を入れて手すりを引っ張ると、両胸筋に力が入り右の患部にも痛みが走る。傷口がパックリ開かないか、エキスパンダーがズレないか心配しながら、左腕、腹筋を使って頑張って起き上がっていた。

看護婦長から「テコの原理を使うのよ」と教えてくれた起き上がるコツ。

ベッドに横になったまま左腕を手のひらから、肘までをべったりとベッドに付け、その左腕に全体重を掛けるように起き上がる。手すりを掴んで引っ張り上げるより楽に起き上がることができた。

その後、自分なりに一番楽だったのは、起き上げたリクライニングベッドと腰の間に健全の左腕を回しいれてベッドを押すように起き上がるのが楽でした。これから手術される方参考になれば試してください。

乳がん手術+同時再建手術 翌日 最初の試練

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乳がん手術を終えて初めての朝が来た。手術当日は雨だったけど、上げてくれたブライドからの景色は青空が広がっていた。

 

乳がん手術後の最初の試練

 待ち受けていたのはトイレの試練。「体を起こして自分でトイレに行けなければ尿管は外せないけどどうする?」と優しい微笑みで看護師さんに問われる。「行きまーす!!」尿管を外して歩きたい、T字体&オムツから用意していた生理用ナプキンを張り付けたショーツに履き替えさせてもらった。「さぁ!頑張ろうか!」と体を起こす。リクライニングベッドがあるから余裕と思ったが、やはり傷口は痛むもので、リクライニングベッドから体を離す数センチが辛い。たった数センチが辛いのだ。ゆっくり時間を掛けて立ち上がり看護師さんに手を引いてもらいトイレまでたどり着き用を足し、次は洗面台へ向かった。

 

利き手側だから?

 術後最初の歯磨きが、物凄くやりにくく左手で試みるも、またそれもやりにくい。顔を洗うのも手の行動範囲が狭く。洗顔料を泡立てるなんて気にもなれず、ほぼ左手片手水洗いで済ませた。トイレでの下着の上げ下げ、トイレットペーパーを切る少しの力さえも右胸患部に鈍痛を感じた。

 

若いと言われても喜べない

 最初のトイレまでは看護師さんに手を引いてもらったが、すぐになれ、一人で部屋の中を歩きまわれるようになる。凄まじい寝癖のため、ブラシに水を付け左手で洗面台で寝癖を直していると、形成外科の先生の回診が「おー凄い。もう歩き回れますか?さすが若いから回復も早いですねー」と言われる。乳がんになって乳腺外科、形成外科の診察時、病棟看護師さんからも『若い』という言葉が聞かれ、ちょっと嬉しい気もした。「もう40過ぎて若くないですよ」と言うと「20代、30代の若年性乳がんの方もいるけれど、40代での乳がん患者さんは若い方なのよー」と言われた。癌患者の中では若いということか。う~ん喜べない。

 

これ罰ゲームでしょ 

 形成外科の先生の朝の回診で折角起きたのに、またベッドに横になり患部の消毒。胸に貼ってあるテープを先生が勢いよく剥がしたので悲鳴をあげた。その後も毎朝の消毒、看護師さんの交代の引き継ぎの度に患部確認に傷口のテープを剥がされ、息を止め痛みに耐る。テープを剥がす刺激が地味に痛いのだ。術後2,3日は特に痛かった看護師さんに「これ罰ゲームみたいね」と笑いながら話した。

乳がん手術+同時再建終了後  痛みや吐き気 わずらわしかったこと

 

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乳頭乳輪温存皮下乳腺全摘+エキスパンダー挿入手術後の体の様子

 

手術後の痛みは?

 手術が終了し、病室に戻って来てから翌日の朝方まで、痛みは一切感じなかった。麻酔のせいなのか、体力の消耗からか、思考能力もなくダラ~と時間の感覚がないまま過ごした。時折襲ってくる睡魔が来ても深い睡眠には入れず数秒でフッと戻される感じを何度も繰り返した。寝てたのか起きてたのか分からない感じ。手術後は水分制限で我慢する苦しみがあるのかな?と思ったけど、特に水分を欲しがることもなく過ごせた。手術後どれくらい経ってからか覚えていないけど、おそらく夜?寝たまま口を湿らす程度のうがいをさせてもらったことは覚えている。

 

乳がん手術後の吐き気

 病室には吐き気が出た時の為に容器が用意されていたが、それも出番はなかった。母が乳がん手術をした時は手術の翌朝、体を起こした時に嘔吐した。私は入院中吐くことは一度もなかった。とりあえず吐き気がなくって良かった。

 

一番わずらわしかったこと

 足に付けられた血栓予防の為の機械が時間と共に不快感を強く感じるようになった。ブオ~ン、プッシュ―、ブォ~ン、プッシュ―と音を出して足を締め付けては緩めるを繰り返す。音もうるさいし、装着された足が固定されてる為、身動きができず腰も痛くなってくる。足も汗ばんで蒸れてきて深夜から、わずらわしさが強まり、これを付けてる限り眠れないと思うようになった。

 

足を引っこ抜いた解放感

 最初は装着された血栓予防の機械の中で足をモゾモゾと動かすだけだったけど。我慢できず足を引っこ抜いた。抜けた片足の解放感が気持ち良く、もう片方も引っこ抜いてしまおうか考えながら足を動かしていると、警報音が鳴り始めた。ナースコールをすれば装着し直されると思いナースコールはせず、警報音を聞き続けた。警報音に気付いたの看護師さんが暗闇の部屋の中、装着し直し出て行った。だけどしばらく経つと、足の不快は我慢できず両足引っこ抜いた。鳴り響く警報音、看護師が入って来た時申し訳ない思いで「すみません。我慢できず抜いちゃいました」とかすれ声で謝ると「もう取っちゃおうか?音もうるさいし、わずらわしいでしょ?」と外してくれた。

 

点滴と相性が悪い血管

 足が自由になり、布団を足でめくってみたり足を回したり。膝を立てたり自由である足が気持ちいい。その時、生理が来た感覚があった。あー来ちゃった。オムツパット大きかったから大丈夫かな。下半身には尿の管が、左腕には点滴、右胸にはドレーン。ベッドで横たわるだけの私には今はどうすることも出来ない。足の機械を外してもらった時、看護師さんにリップクリームが入ったポーチを枕元に置いてもらった。ポーチのファスナーを開け乾燥した唇にリップクリームを塗っていると、腕に冷たい感覚。点滴が漏れはじめた。ナースコールで看護師さんを呼び、点滴が漏れてることを告げる。「刺し直そうか」と刺せそうな血管を探し始める。朝も上手く刺さらず刺し直したことを告げ、失敗した腕の痕跡を見て「ちょっと先生に確認するね」と部屋を出て行った。「点滴もあと少しだけだったから、点滴外して良いって」の言葉に喜ぶ。腕も足も自由だ。熱が出て汗をかいていたのか、看護師さんが暖かいおしぼりで顔を拭いてくれたのが気持ち良かった。ブラインドで閉じられていても外の空が薄く明るくなり始めてるのが分かるころには頭の回転も普通に戻り朝食まだかな~と食べ物のことを考えるまで回復していた。

乳がん手術+同時再建終了後 胸の膨らみ乳頭乳輪温存

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手術終了後の病室に戻って来てからの時間の感覚がない。スーっと眠りに入って数秒ですぐ目が覚めるような時間を繰り返していた感じがする。

 

ドレーンの本数を確認し焦る

 病室に戻って来てから片手でドレーンの管の本数を確認した。乳がん手術をした方のブログに、リンパ節を切除した時には、ドレーンの管の本数が2本になる。とそんなようなことが書かれていたブログをみた覚えがあったからだ。胸元を触り管を探す。2本ある!と焦る。弟にスマホを取ってもらい、片手で検索を試みるが苦戦。麻酔のせいか、体力を消耗しているからか睡魔が襲ってくる。片手スマホと睡魔の中、どの方のブログだったかも思い出せず、うまく入力できず諦める。術中のセンチネルリンパ生検でリンパ転移が見つかってリンパ取ったんだ・・・私の乳がんステージいくつなの?落胆の気持ちと現実を早く知りたい気持ち、否定する文章を見つけて安心したいという気持ち、押し寄せる睡魔が入り混じる。弟にリンパにも転移があったかもと告げるか迷ったが止めた。

 

手術後再び焦る、こういうことから医療事故?

 病棟看護師が「ちょっと見せてくださいね」と胸元の傷を確認する。そして次は「もう一つのお腹の傷も見せてくださいね」と布団をめくる。「え!お腹?なんで?私お腹も切ったの?!なんで!」と重い体をムリにでも起こそうとした。PET-CTで光っていた子宮の画像が頭をよぎる。筋腫?筋腫も切ったの?子宮がん?回転の悪くなってる頭がなぜ?と働く。「あっ!違うわね。自己組織再建じゃないわね。びっくりさせてごめんなさい。」と謝罪する看護師。「良かった」と安堵する。違う患者と間違えたのか、単に思い違いなのか、点滴を間違えたとか、患者を間違えたとか、こういうことから医療事故に繋がるんじゃない?と思ってしまう。リンパ節転移があったのか、看護師に聞こうかと思ったけど「先生から聞きましょうね」と言われるのだろうし、その言葉に余計モヤモヤの時間を過ごすことになると思い止めた。

 

手術後の胸の膨らみ

 服の上から胸を触る。ガーゼがあるけど、小さな胸に膨らみがあるのが分かる。10年前乳がん全摘手術を受けた母が「おっぱいなくなっちゃった。おっぱいなくなっちゃったよ・・」と病室で呟いた姿がよみがえる。同じようにこうやって胸を確認したんだな。と膨らみのある胸を撫でた。平になった胸を確認した母はどんなにショックだっただろう。何度も小さな胸の膨らみを確認して、ホッとする。エキスパンダーの小さな膨らみでもホッとできたのは同時再建手術のいいところなのかもしれない。

 

乳頭、乳輪温存、リンパ転移なし

 夕方だったろうか?弟が帰った頃、担当医が病室に入って来た。「リンパ転移なし、乳頭も乳輪も温存できたよ」と言われたけど頭が回らず理解できない「もう一回言って」と同じことを言ってもらい、自分でも同じ言葉を口にして理解した。なんでドレーンの管が2本?どことどこに刺さってるの?なんてことは、もうどうでもよく、私の読み違いだったのだろうと済ませる。病室を出て行く担当医に「先生!ありがとう。凄いね。先生凄い!」とリンパ転移がなかった喜びがそんな言葉になった。「いや、僕が凄いわけじゃないよ」と「うん。でも嬉しい」と目を閉じて体を休めた。

 

彼が来た

 何時に来たのか分からないけど、空は暗くなりかかっていた。「リンパ転移もなくて、乳頭も乳輪も温存できたって」と何度か同じことを繰り返し話した。「もういいから、寝ろ」と言われても同じことを口にした。テレビカードと冷蔵庫に入りきらないほどの水や飲み物、ゼリーなどをいっぱい買って来て机に置いて帰って行ったた。夕方はじめてテレビをつけたが見た番組も覚えていない。

 

いよいよ 乳がん手術+同時再建2

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手術台に横になり、麻酔が掛けられるのを待つ

 

点滴が落ちてない?

 手術室の前で麻酔科医が点滴を、物珍しそうに上から下から点滴を見ていたのはの、点滴の落ちが悪いのか何やら不備があったようだ。「刺し直すかな」と麻酔科医の言葉に、えー!!また!!と心の声が漏れそうだった。麻酔科医と担当医が聞きなれない用語で話している。点滴の刺さった左腕をひっぱったり、伸ばしたり。テープで止めて固定し、刺し直さなくて良いことにホッとする。麻酔科医の先生すぐに点滴の不備に気が付いたんだ。なんかすごい。

 

麻酔が掛る瞬間

 手術室では音楽が掛っていた。クラッシクだったか、洋楽だったかも覚えていない。聞き入る心の余裕はない。「これからね。麻酔入れるからね。そしたら眠くなるからね」と男性麻酔科医が頭の上から説明した。右横にいる担当医の顔を見ながら、うん。うん。頷く。点滴から腕の中に入っていく感覚があり「腕が・・」と頭を傾け左腕を見る。頭の右横にいる看護師が「大丈夫ですよ!少し腕に違和感があるかもしれないですけど大丈夫ですよ」と声を掛けられ上を見つめ直す。目より先に耳の感覚が無くなって来たホワ~と頭の後ろから無音に覆われていく。音が塞がれていくイヤな感覚に助けてという気持ちで「耳が、耳が!!」マスクの中でコモル声、声も出しづらい涙を滲ませながら頭を横に振る。担当医が「どうした?」と耳を傾けようとしてくれた。そこで記憶はない。

 

何分寝ました?

 名前を呼ばれながら「手術終わりましたからね」と着替えなのか、布団なのか、何かをされている。麻酔が効いて3分ぐらいで起こされた感じだ。もう終わったの?と全身、頭ボーっとしている。ベットを動かされて運ばれていく。弟が並んで歩いているのが分かる。個室の病室に戻って来た。全身の脱力感。電気毛布が掛けられていたんだろうか。暖かさが気持ちよかった。

 

MRI禁止カード

 弟が「お姉ちゃん次の手術までMRI禁止だって。MRI禁止って書いてあるカード先生から渡されたからお姉ちゃんの財布にしまっておくからね」の言葉に頷く。少しずつ言葉が喋れるようになってくる。「冷蔵庫の中、飲み物飲んで」「何か食べた?下に食堂も売店もあるからね」「冷蔵庫にゼリー入ってるから食べな」「何か食べたいなら、財布からお金とって買っておいで」いくつかの言葉を虚ろ虚ろペラペラと喋っていた記憶はある。寝てたのか、時間が経ったのか、分らない。「お姉ちゃんは大丈夫だから帰っていいからね」「うん、もう少しいるよ」時間の感覚がないまま病室で弟と過ごした。

いよいよ乳がん手術+同時再建手術

 

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「そろそろ、手術室へ向かいましょう」と看護師が呼びに来た。

 

手術室へ向かう

 手術着に着替え、血栓予防の靴下、帽子を被り、点滴棒を転がしながら、看護師さん、弟とエレベーターに歩いて向かった。足が重い。手術室のある2階へ降り、弟とは家族待合室と手術室入口の間ででさようなら。沢山の方たちが手術をしているんだろう。家族待合室で待つ大勢の姿が見えた。

 

身柄引き渡し

 手術室の扉を入ると、手術看護師と麻酔科医の3名が待っていた。病棟看護師から手術看護師へ私の身柄の引き継ぎが行われた。名前と生年月日を名乗り、リストバンドと確認する。確認している間、麻酔科医が点滴を上から下から屈んだり背伸びしながら覗き込んでいる。そんなにこの点滴は珍しいものなのか?上から下から覗いている麻酔科医の行動の方が私にとっては珍しい。

 

T字体のハプニング

 手術室へ入ると、麻酔科医、看護師は、それぞれの配置につき作業を始めた「ここへ寝てください」と案内された手術台へ向かおうとした時、T字体がスルリとほどけ、慌てて手で押さえこむ「T字体がほどけちゃった!」と後ろを向いて、直そうとするも手術着をまくり上げなければ上手く直せない。「大丈夫ですよ。どうせ、取っちゃうので」と看護師さんの言葉に「じゃぁ、いいっか」と手と股の筋肉でT字体を押さえながら間抜けな姿で歩く。手術台へあがり、後ろで縛ってある手術着をほどかれ、仰向けに寝転んだ。手術が始まれば取ってしまうというT字体だけど、やっぱり恥ずかしい。掛けられている手術着の中で直した。ほどけたのが、手術室で良かった。エレベーターなんかでほどけたら本当に恥ずかしい。

 

 

麻酔が切れたらどうなの?

 頭の上で作業している麻酔科の男性医師に「先生、手術が終わって麻酔が切れたら、すごい痛いのかな?」と聞くと「目が覚めてすぐに痛い!とは感じないよ。ボーっとしてると思う。ただ、時間が経つにつれて痛みが出る人もいるし、やっぱり体を切除するから、今までの感覚と同じじゃないよね。痛みは日を追うごとに消えてく感じだね」そうだよねと深いため息をついた。この手術室を出るころ、私の貧乳のチッパイはなくなってるんだ。これで本当にさようならと胸を握り閉める。

 

聞きたい言葉は大丈夫

 手術着を着た担当医が現れた。初めて見る先生の手術着に、あ、本当に手術されてしまうんだ。と実感する。半袖の手術着から出た担当医の腕を見て色白~。先生真っ白だな。手術着、強烈な緑。先生、緑色似合わない。と、同時にいろんなことを感じた。「大丈夫?泣いてない?」と今までの私の泣きっぷりを見て来た担当医に話しかけられ「大丈夫だけど、もうここに来るだけで精一杯。朝から麻酔でも催眠術でも掛けてもらい感じだった」というと、担当医は「こういう時は、僕だって怖いとかは言っちゃいけないんだよね。大丈夫、大丈夫だから」と針生検での先生は怖いなんて言わないでという私の言葉を覚えていてくれたようだ。うんうんと頷きながら担当医と目を合わせて笑った。

 

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