乳がんカフェ

2017年大きなシコリが出現し乳がん摘出手術を受けました。乳がん手術を終えても怖さはいつもどこかにあります。まだ慣れないシリコンおっぱいと共に、ひと息つきながら経過を綴っていきます

乳がん手術当日 手術準備

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2017年10月下旬、朝9時30分から乳がん摘出+エキスパンダー手術。手術前夜に担当医にシコリが大きいことを告げ5センチ超えてるかも?と不安のまま、ほとんど寝れることなく雨降りの朝を迎えた。 

 

久しぶりの再会は乳がん手術日病室で

 遠くに住んでいる訳ではないけど、年も離れ、性別も違う弟とは昔から共通の話題がなかった。正月実家で会ったきり、久しぶりの再会は乳がん手術日、病室での再会となってしまった。「もしも、万が一お姉ちゃんに何かあったら、父さんと母さんに渡して」と昨夜病室で書いた一通の手紙を託した。手術中に万が一のことがあり、娘が乳がんで、手術を受けてると聞けば突然の知らせに気が動転し「なぜ言わなかったんだ!」と弟を責めるに違いない。全ては私がお願いしたことと懺悔の手紙を書いた。

 

乳がん手術当日朝の回診 

 担当医が「おはよう」と病室に入って来た。「いよいよ今日だね。寝れた?」「ぜんぜん眠れなかった」と言うと「大丈夫。イヤでも、手術中麻酔で寝かされちゃうから。じゃあ、あとでね」と部屋を出て行った。手術当日にもなれば、腫瘍マーカーの高値やシコリの大きさなどの不安は考えることなく、手術が何事もなく無事に終わることへの思いへ変わっていった。ただ手術までの緊張感、今すぐにでも麻酔で眠らせてくれてもいいよ。とも思った。

 

T字体ってどうやるの?

 「そろそろ、お支度しましょうか?」と看護師さんが術着を持ってきた。いつ生理が来てもおかしくない状態だったことは担当医にも看護士さんにも告げていたので、T字体の下にオムツパットをあてることになった。部屋で独り術着に着替えるも、T字体をどうするのかわからない。看護師さん呼ぼう。とナースコール。10年前、乳がん手術を受ける母が着替えのカーテンの中で「あれ?これどうするの?わからないわ。これが前?後ろからかしら?ダメだ看護師さん呼ぶわ」とアタフタしてた光景が頭に浮かんだ。皆、教わらずにスンナリと装着できるものなんだろうか?

 

点滴針痛いです

 「点滴の準備をさせてくださいね」と看護師さんが左腕を見て「う~ん。どうしよう・・ここ、ここかなぁ・・」と刺す場所を探している。私の苦手な点滴。深呼吸をしながら気を落ち着かせる。「ここに刺しますね」と刺したものの、血管に入らず「痛い!」と思わず声が出た。違う場所に刺し直し。採血針さえも刺しにくい血管、太い点滴針は尚更差しにくいのだろう。失敗した辺りがしばらく痛かった。こんな日はどんな小さな失敗もイヤなものだ。病室から眺める外の雨もイヤだったな。

 

乳がん手術前夜 画像と触診 シコリの大きさの違い 2

 

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エコーの計測と触診でのシコリの大きさの違いを担当医に伝えた手術前夜。

 

私の乳がん手術の手術方法

 担当医が戻って来るまでサインした手術同意書の控えを確認する。明日の手術は脇の方から縦に切り乳頭、乳輪を残す方向となっている。癌が取りきれない場合は、乳頭、乳輪を切除すると書いてある。へぇ~乳頭と乳輪残せるんだ。正面からは傷跡が見えないんだ。そういえばそんなこと言ってたかも。担当医の説明を聞きサインをした同意書だけど、ハッキリ言って記憶があまりなかった。シコリ発見からこの2か月、非浸潤がんと言われたものの、400を超える異常値を示したCA15-3、転移探しのPET‐CT、仕事の引き継ぎ、退職、生活も気持ちもジェットコースターからの急降下、PET‐CTの結果を見るのは一番の恐怖だった。転移はない、手術ができると安堵しても腫瘍マーカーの異常値が示すものがなんなのか不安で仕方がない。安堵と不安の中で聞きサインした手術同意書。

 

結局乳がんのシコリのサイズは?

 また触診するかもと裸にパーカーのファスナーを閉めたまま担当医を待つ。頭を掻きながら担当医が戻って来た。「先生どう?」と聞く。「う~んMRIもCTも見たんだけど、よく分らないだよね。エコーでは1.9なんだよ」「でも触ると4、5センチあるでしょ?私の胸が小さすぎるからかな?寝転がってエコー撮るとペッタンコの胸だから、計測不可能なのかな・・・」「それは関係ないよ。とりあえず切って取り出さないとね」

 

乳がん手術の切り口変更?

 「どうやって切るかな?」と真横にメスを入れるような仕草をした。「こっちの脇から縦に切るんじゃないの?あっそうか、脇からだと乳輪、乳頭とれないからか。乳頭とか残せないでしょ?取っていいよ」と言うと「いや、大丈夫でしょ。乳頭から離れてるし動くでしょ」と再度触診。「うん。よく動くね。手術説明と変わらず、術中検査してダメなら切除するからね」じゃあ明日ね。と担当医は出て行った。

 

手術前夜にトンチンカンな私の乳がんのシコリ

 明日の手術を控え私の乳がんを整理する。非浸潤がんはシコリを作らないとネット検索では書いてあるのに私の乳がんはシコリを形成している。2度にわたるマンモグラフィーは真っ白で何も写らない。最初のマンモグラフィーでは黄色い分泌物が乳頭から出て、2度目は出血した。2つの病院でのエコー結果は1.7センチと1.9センチ、どちらの病院も2センチ以下。なのに触診すると4、5センチはあるシコリ。何よりも不安なのは腫瘍マーカーCA15-3が400を超えている。トンチンカンな乳がん。同じような方がいないかブログを検索するが見当たらない。ほぼ、一睡もできないまま手術の朝を迎えた。

 

乳がん手術前夜 画像と触診 シコリの大きさの違い

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シコリ発見から約2か月。手術前夜、担当医が病室にやって来た。

 

先生への頼みごと弟には何も言わないで

 年の離れた独身の弟が明日の手術に来てくれる。弟には母のようにリンパ節へ転移している乳がんではないし早期発見だったから安心してと伝えてある。「先生、仮に術中リンパ節などの転移が認められたとしても、弟には何も言わないで『手術終わりました』その一言だけ伝えて」とお願いした。「う~ん。ご両親には乳がんも入院手術も内緒、弟さんにも詳しい状況は話さない。なんで?それであなたは大丈夫なの?」と担当医は私のメンタル面や入院生活を気にしていた。「みんなに心配かけてしまう方が、私には辛いし、可愛い年の離れた独身の弟に私の胸のこと詳しく話されたくないわ(笑)」とおどけて見せながらお願いし、渋々わかったと返事をもらう。

 

手術前夜に医師も戸惑う

 「それから先生、私のシコリがさ・・・」「どうした?大きくなっちゃた?」心配ないよ。と言うように先生は変わらず、いつもの笑顔だ。「ううん。もとから大きいの。ただ最初の病院のエコーの結果でも1.7センチ、こっちでも1.9センチ。前の病院の先生は、外から触ると大きく感じるだけって言ってたけど絶対違うと思うんだよね。大きいんだ」この時、個室に担当医と私だけ。きっと触診となると担当医としては看護師が立ち会ってくれてる方がいいのかな?と思いながらも「先生、いいからさ、触ってみて」と服を脱ぎシコリを掴んでもらった「デカイね・・」「でしょ?これ1.9とかじゃないでしょ?4、5センチない?」「5センチ超えてるかな・・・。ちょっとCT見てくる」と笑顔が消えた先生は頭を掻きながら病室を出て行った。

 

触診ってあるの?

 最初の病院では針生検は勿論、初診時のエコーも医師が行った。検査の為エコーの棒?で胸を間接的に撫でるけど直接的な触診はなかった。1.7センチのシコリがあると言われた時「もっと大きく感じるんですけど」と伝えたが、どれどれ?と触診することなく「外から触るとそう感じるかと思います」と返された。後日の針生検の時、胸を握っていたからシコリの大きさには気付くと思うんだけど、特に何も言われず。転院したこの大学病院のエコー検査はエコー技師が行い1.9センチと最初の病院とさほど変わらない診断。その後も担当医は最初の病院での細胞診の結果カテゴリー3の左胸の針生検を行う際に、胸に触れたけれど、乳がんが確定されている右胸を触診することはなかった。担当医に右胸を見せたのは、この手術前夜が初めてだった。どこの病院も触診というものはないものなのか?

 

いよいよ手術入院

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皮下乳腺全摘+エキスパンダー手術前日に入院、キャリーケースに沢山の荷物を詰め込んで病院へ向かった。

 

独り身の入院は

 独身の女の私は、入院が長引いても、なにか足りない物があっても誰かコレ買って来て、持って来てと言えない状況。荷物は自然と多くなった。ナースステーションに行き、病室へ案内される「景色も陽当たりもいい部屋ですよ~」と通された個室は陽当たりが良すぎて、「いや~本当に景色も陽当たりも良すぎて・・暑いですね」と看護師さんと笑うしかなかった。全館空調で個別空調なし・・・。

 

麻酔科へ

病室に入ってからは検温と普段飲んでいる便秘薬を薬剤師に渡し、入院中の服用に問題ないかの確認。環境が変わると便秘になるから念のため持っていた。その後は麻酔科に出向き麻酔の説明を受ける。女性の麻酔科医の先生でテキパキしている。「首を後ろ反らして見て」「あら~よく反れる。やわらかいわね」「次、口を大きく開けて、あごは痛くない?」などの検査をし、手術中、口の中に器具をいれるから、歯が欠ける恐れがある。などと書かれた同意書にサインをした。麻酔を受ける方への冊子を受け取り「何か質問ある?」「麻酔が切れたら痛いんですかね?痛くないようにしてください」と乳腺外科の担当医に「痛くないようにしてください。って頼むんだよ」と言われてたように伝えた。「術後は皆さん痛みが強い方もいれば、痛みを感じない方もいるけど、痛みがあっても沢山の痛み止めの種類があるから大丈夫よ。安心して!」と励まされ、特別な痛みが出ない麻酔でもあるのかと期待した私は速攻撃沈した。のちに、この乳腺外科の担当医が言っていた意味がシリコン入れ替えの麻酔でわかった。

 

担当医は最後まで

 麻酔科からの帰り、病室の廊下を歩いていると、乳腺外科の担当医の姿が見えた。「よう!来たか~」と言わんばかりの笑顔で近づいて来て廊下を歩きながら話した。「いよいよ明日だね」「うん」「ご両親には話した?」「話してない。でも弟には話した。明日は弟が来る予定」「本当にご両親に話さなくていいの?今は良くてもさ、なんかあった時に、のちのち困るよ。今からでも言った方がいいと思うんだけどな」「なんかあった時って先生それ、手術ミスとか?」「いや~そういうことじゃないけど、もしバレた時に、なんで話さなかったんだ!とか、問題は大きくなるじゃない」「いいの。先生が完璧に癌を取り除いてくれて、形成外科の先生が再建してくれるんだからバレないでしょ。私は健康になるのよ」と自分に言い聞かせた。明日の手術のことで、質問や聞きたいことが沢山あると伝えると夜の回診の時に聞くよと別れた。

 

私が犯した罪

前日に入院しても、特別やることがない。乳がんと言えど具合が悪い訳でもないし。売店で、お水やティッシュ、T字体などを購入したらシーンとした部屋で本を読む気にも、麻酔科でもらった冊子を読む気にもなれず西日が差し込む静かな病室で暇な時間を過ごした。ベッドに横になったら、病人になってしまう気がしてソファから動けない。それでも明日の今頃はこのベッドで苦しんでるのかな?とグッタリとしている姿が浮かぶ。腕に付けられた名前が書かれたリストバンド。開かない窓、消灯は9時、個室だから消灯時間は関係ないけど、真っ白で可愛さもオシャレ感もないベッド。ここは高級刑務所か?落ち着かない暇な時間がそんなことを思わせる。罰として胸を落とされる。なにか私は悪いことをしたのだろうか?してない。いやいっぱいしたかも。したな・・・。この年になっても、いつか大きくなると希望を持っていた私のチッパイ。大きくなることなく明日でお別れ。ソファで膝を抱え卵になって、幼稚園の頃、友達のクレヨンを落として割ってしまったのに、謝ることも正直に言うこともなく、そっとしまったこと、習い事に親には行ったふりをしてバックれてたことなど、晩御飯までの長い暇な時間、これまでの人生の罪を振り返った。結構な数の罪が思い返った。

 

入院準備 弟への報告

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手術日も決まり、肺活量検査や心電図などの検査を済ませた。皮下乳腺全摘+エキスパンダー挿入の同時再建手術の入院期間は2週間から3週間の予定。退院はドレーンの外れ具合によるという。

 

入院説明

 個室ブースで入院中の生活や、持ち物の説明を看護師から受ける。親族者と連帯保証人の署名捺印をして入院日に提出する書類を受け取り「手術の当日はどなたが来られますか?」と聞かれる。「いや。誰も付き添いを頼む気はないんですけど・・・。」「ご家族、どなたもムリですか?なるべく、どなたか来て頂きたいんですけど、無理なら必ず身内の方と連絡だけは取れるようにしてください」と念を押される。独身ってこういう時困るものだ。今は親兄弟が生きているが、親戚付き合いもないし、お金に関する連帯保証人とか、この先どうする?乳がんも不安だけど、人生そのものが不安になるわ。

 

病室は大部屋?個室?差額ベッド代

婦人科病棟の病室は、差額ベッド代なしの4人部屋、差額ベッド代5000円の広めの4人部屋、個室は最低15000円から。15000×14日=???15000円×21日=???税込だったら?スラスラと安暗算ができるほど頭はよくない。夜中のトイレの回数や、イビキはかくか?寝言を言うか?など記入した質問書類を見つめ、一人暮らしが長い私にとって共同生活はストレスだなと感じる。それに腫瘍マーカーの異常値の不安は消えていない。独りで落ち着いていたいと、個室の中で一番安い15000円の部屋を希望した。部屋の確定、入院時間は入院日の前日に連絡が来るとのこと。

 

弟へ報告

 普段から連絡を取り合うような仲ではない年の離れた弟に迷いに迷いながら夜電話したが出なかった。しばらく経って折り返し連絡が来た。駅のホームの雑音が聞こえる「元気?お姉ちゃんさ・・・。手術するんだ」「え?うん。なんで?」「お姉ちゃん、乳がんになっちゃった」「えー!?ウソ!えー!えー!えー!」10年前まだ実家に住んでいた弟は母親の辛い乳がん治療を見て来た。駅のホームで、えー!しか言葉がでない弟に「ごめんね・・・手術書類の親族欄に記入が必要なの、母さんたちには言わないでおこうと思って、あんたの連絡先記入していい?」「いいけど、手術日いつ?」と手術日を伝えると、後で掛け直すと電話を切られ再び折電。「手術の日、休み取ったから。行くから時間教えて」ありがたい。母の乳がん、そして父親の体調も良くない家族の事情「お姉ちゃんが、お母さんたちに言うことや、言ってストレスになるなら言わなくていいと思うよ」と言ってくれた。重ねてありがたい。

 

家族にはいつ話すの? 家族は第2の癌患者

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PET-CTの検査結果の報告のあと、手術日を決めた。担当医に「そういえば、ご家族は?」と聞かれ「バツイチで、独り身なんです」と答える。

 

完全犯罪のごとく私は乳がんを秘密にしたい

 「ご両親には?ご両親は、病気のことなんか言ってた?」「話してないです」「まだ話してないの?いつ話すの?!」と突っ込まれる。乳がんかも!と思った時から、両親に話す気はなかった。幼い子供がいれば真っ先に両親に打ち明けたかもしれないけれど、独り身の私は両親に話す気は全くなく、抗がん剤をするかもと、脱毛に備えて自然に見える評判のよさそうなカツラ屋もリサーチし、完全犯罪のごとく、隠そうと思っていた。

 

僕が話してあげる

  針生検の診察後も「ご両親に話した?」と聞かれ「いいえ、話してません」と伝えると「早く話した方がいいよ」と。入院前検査の時も「話した?」と聞かれ「ううん」と首を振ると「なんで、まだ話してないの?!もう手術まで時間ないよ」と驚かれる。そして「連れておいでよ。僕が話してあげるから」と私を見る。ううん。と首を横に振る。「どうして?なんで話さないの?」「先生。私手術で死ぬの?死なないでしょ?なら、いいじゃない、言わなくたって」「いや・・。死なないけどさ・・」「それとも手術の時に、親族の付き添いがいないと手術できない?」「付き添いがいなくても手術はできるけどさ・・・」「なら、いいじゃない・・・」「でも、あなた、どうするの?手術に、入院、話した方がいいよ」

 

 喜ばせてあげて

「 母が乳がん10年目なんです。先日も検診行って来た。異常なかった。もう治療が終わる!って喜んで電話があったばかりなのに今度私が乳がんだなんて、自分の乳がん以上に苦しむ。ステージ3、顔つきの悪い癌だと言われて母も家族も10年再発に恐れて、やっと、やっと解放される時に、そんな酷い告知。かわいそうだよ。絶対言わない」

 

癌患者が告知側に

 10年前、父が泣きながら電話をしてきた。母が乳がんだと知った時、呼吸が止まった。心臓がバクバクした。どうしよう。どうしよう・・溢れてくる気持ちの焦り。頭に「死」という言葉が浮かびかき消した。癌患者の家族も同じように恐怖を味わうことを私は知っている。医者から癌だと告知をされてショックをうけ、今度は自分が大切な人たちに打ち明ける。なんだか傷つけてしまうような罪悪感。2重の傷つき。診察室で椅子に腰をかけると同時に「悪いものが見つかりました」とサラッ~とセリフのような告知をした医師のように、私は言えない。言う気もない。10年の治療が終わる母をまた、癌患者にはしたくない。

 

「だから先生。私の完全犯罪に協力して」

 

形成外科でシリコンをさわる

 

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皮下乳房全摘手術+同時再建を受けた大学病院では、初めに乳腺外科の先生が手術して癌を摘出した後、形成外科の先生にバトンタッチし、エキスパンダーの挿入手術をする手術でした。

 

形成外科の先生もニコニコ

 形成外科で初めての診察時「再建手術希望ですね」優しそうな年配の先生が迎えてくれてた。自家組織を使った再建方法とシリコンインプラントを使った再建方法の説明を聞き「でも、先生、私余分な脂肪ないから、シリコンで再建したいんですけど、貧乳でも再建できますか?」と確認した。「大丈夫ですよ~」と笑顔で答えてくれる。これまで大きな病気もなく、大学病院などの大きな病院に掛るのは20年ぶり、乳腺外科の担当医といい、形成外科の先生といい、大学病院の先生ってどこの科もこんな愛想がいいの?と思った。

 

シリコンの感触にホッ

「これがシリコンね」とシリコンを渡され触った瞬間「やわらか~い!!」と自然に笑顔になった。「でもね、お胸に入れると、皮膚もあるし、もう少し感触は固く感じるかな。結構強く握っても大丈夫そうでしょう?」とニギニギと潰してみる。「うん。丈夫そう!!もっと硬いものだと思った!!こんなに柔らかいんだ!!」小さな貧乳の自己パイよりもフワっとした柔らかい感触に嬉しくなった。

 

シリコンの注意として

 必ず10年ではないけれど、10年ほどで劣化して入替えになる。沢山のシリコンのサイズや形から合う物を入れるが、所詮既製品、健全の胸と全く同じようにはならず位置や大きさなどのズレがでる。そんな注意をもらった。感触も大きさも今までの胸と同じようになるには難しいということだ。

 

 大きくなりたい胸

どうせ、貧乳パイがなくなって既成パイになるのなら「先生、おっぱい大きくならない?」と聞いてみた。「大きいは大きいで大変なんんですよ。シリコンを入れる前にエキスパンダーを入れて、お水を少しずつ注入して行くんだけど、倍くらいの大きさになるまで注入していくから大変な人もいるんですよ」とニコニコで答えてくれた。他の方のブログでは、シリコン再建手術と健全の胸の豊胸手術を一緒に行える病院もあるようだけど、ここの大学病院は豊胸手術などは行っていないようだ。残念。

 

 とりあえず入れてみる

 豊胸できないのか~とちょっと残念。再建手術だけを他の病院で行う方法もあるけれど、手術の回数が増えるのは面倒。安くない豊胸分のお金も掛るし。それに、何より頭の中は乳がんのことでいっぱい。とりあえず再建もこの大学病院でお願いして、出来上がりが不満なら他の病院でやり直せばいい。パイはいつでも何とかなる!まずは乳がん!と予定通り同時再建を希望した。乳がんの手術を前に怖い思いばかりの診察の中、唯一シリコンを触った時、その柔らかい感触に自然と笑顔になれた。私にとって間違いなく手術までの希望には繋がった。

 

2度目の針生検 患者は怖さでいっぱいなんだ

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PET-CTの検査結果から2日後、左胸のシコリの針生検の日が来た。もう病院に来るだけで具合が悪くなりそう。

 

余裕でしょ?

診察室へ入ると顔面こわばってる私に、担当医が「さーやるか!経験者だから余裕でしょ?」と明るく迎える。「それ反対。1度経験しているから、あの音と、銃で撃たれてる感じの恐怖がよみがえってくる」「えーそっちか・・泣かないかな・・・」と、服を脱ぎ横たわると看護師さんがタオルを掛け傍に着いててくれる。

 

何度やっても怖いものは怖い

処置が始まる。仰向けで目を閉じているだけで精いっぱい。先生が私に話しかけ質問をしてきたが私は硬直状態で言葉を理解できない「先生、怖くて何言われてるかわかんない」と返した。「不安が和らぐかな~と思って話しかけてみたんだけど、ダメだったかぁ・・」と言いながらエコーを動かし麻酔。麻酔の針が刺される時看護師さんが手を握っててくれた。

 

患者の怖さ 医師の怖さ

「じゃぁ、いくよ!」といよいよ針生検の針が刺されバチーンと音が響く。震える私に「痛い?痛いの?麻酔効いてない?」と担当医が焦る。「怖い・・・」という私に「痛い?」「痛くない。怖い・・・」「怖いのかー。怖いのは僕だって怖いんだよー。左は心臓もあるしね」と。担当医は励ましで言ってくれたのかもしれないし、医療ミスなどを犯せば大問題、命を預かる責任の怖さはあるのかもしれないが、私はその言葉で更に怖くなり思わず「ダメだよ!先生が怖いなんて言ったら身を預ける患者は、もっと怖くなる。先生は大丈夫だよって言ってて!」と言葉にした。「そっか・・・そうだね・・・」とバッチーンと続く。手を握っててくれてる看護師が異変に気付く「大丈夫?手がすごく、冷たくなってる」と手をニギニギして温めようとする。血の気が引くというのだろうか、自分でも体温が下がって行くのがわかる。看護師さんの「大丈夫?」の問いかけに「うん」と頷く。

 

 倒れるなら病院で

 針生検終了後、着替えてる時、担当医も看護婦も「大丈夫?具合悪くない?」と気にかけてくれた。「大丈夫です」と鼻をかみながら答える。麻酔をしているから、全く痛くないし、前回の針生検より刺される回数も少なく針も細かったような気がする。それでも怖い。怖い時や、不安になると血圧や体温がおかしくなるのか、身体の血が抜けてく感じがして手足がキンキンに冷える。着替えが終わり、診察室の椅子に座ると「大丈夫?倒れない?」「うん。落ち着いてきた」「帰れる?少し病院で休んでく?」「ううん。早く病院から去りたい」「でも病院で倒れる分にはいいけど、病院内なら、医者だらけだからすぐ助けられるからさー」「うん。私倒れてでも家に帰りたい」最後は少し笑顔でそんなことを話した。

 乳がんになってから病院=病気を治すところではなく、病院=恐怖の場に変わってしまった。

痛い思い、怖い思い、悲しい結果を突きつけられる。心が削られてく。ここは・・・とても怖い場所。

 

PET-CTの検査結果

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吐き気と腹痛で入院し、退院した翌日所沢へPET-CTを受けに行って来た。1週間後、結果を聞きに大学病院へ訪れた。

 

心がもたない

 シコリを見つけて乳腺外科での初診、針生検、MRI、CTの結果、腫瘍マーカーの再検結果。もう何度ハンドタオルを握りしめ待合室で待つことをしたか。結果を聞くのが怖い。もう、心がいっぱいいっぱい。乳がん告知をされ、乳がんは確定しているのに、告知時は非浸潤がんステージ0と言われてたものが今度は転移探しのPET-CT、遠隔転移があればステージは4・・・気が狂いそう。待合室で心の限界を感じていた。

 

検査結果報告書

 名前が呼ばれ診察室へ入る。担当医に「こんにちは、お願いします」の挨拶と共に、涙が滲む。タオルで口元を抑えながら椅子に座る。「調子はどう?」机の上のPET-CTの封筒が目についた「もう・・・怖い」と声もまともに出すこともできず、涙目の私に対し、担当医はいつも通りニコニコしている。「今日はPETの結果届いているからね」と封筒を見せられ「転移・・・転移ありましたか?」と声を震わせ問う。「まだ、僕も見てない。一緒に見ようと思って」と封筒から冊子状の結果を取り出した。『検査結果のご報告書』と書かれ私の名前が書いてある。これを開けば結果を突きつけられる。怖くて開いて欲しくない「もう、イヤだ!!」と声をあげて泣く。

 

検査結果を言わないで

 乳がんの確定診断を受けたM病院の医師は笑いもしない声の大きく、なんとなく”圧”を感じる苦手な先生。 大学病院に転院して担当医になったこの先生はいつもニコニコしている先生。「もう、イヤだー!」と結果を見る前から泣き喚く私に「まだ結果見てないのに、なんで、そんなに泣くの?」と笑顔で言う。「だって、怖い・・先生は先生の体じゃないから怖くないんだよ」顔をタオルで覆い泣く。泣き喚く私の声が他の診察室や処置室へ漏れないように、診察内のドアを閉め「わかった。わかった。じゃ、僕が先に見て結果を伝えるよ。いい?」「いやー!もう聞きたくない!」

 

号泣

 「もう、そんな泣かないで。結果見よう」と椅子を近づけ横並びになりなり結果報告書を真ん中に置く。子供の頃、教科書を忘れた時、隣の子に見せてもらってる状態。「開くよ、いい?開くよ」開いた瞬間、私の目の前に移ったのは赤と緑に写るどこかの断面図「あー!!赤い!いやだ!!」担当医より早く見つけた赤い断面図を指し、すぐさまタオルで目を隠し声を出して泣いた。担当医は真ん中に置いた報告書をサッと取り上げ確認。報告書をめくる音。呼吸も乱れ泣いている私に「でも、見て見て!」と声を掛けて来た。溢れだす涙に顔を上げることもできない。もう何も見たくない、聞きたくないと首を横に振る。

 

 赤く光るPET-CT

 「赤く光る部分はお腹なんだけど」やっぱり腸の癌?とタオルで顔を隠し、もう何も聞きたくないと泣き続ける私に「ここ見て、ここにね、子宮筋腫でもこのくらい集積することがありますMRIで検査をって書かれてるんだよ!」の言葉に、やっと、顔をあげることができた。乳がんが見つかる半年前に子宮筋腫があるね、腺筋症の疑いもありと産婦人科で言われていた。筋腫がある場所、腺筋症がある場所を産婦人科で教えてもらっていたので「ここに筋腫が、それと腺筋症の疑いと言われます」と担当医に伝えると断面図の場所と一致。そしてPET-CT撮影日はドンピシャリで生理だった。

 

心配だな・・・

 その他PET-CT検査結果報告書に書かれていたのは、右胸が原発巣と思われる。他に異常集積は認められない。と書かれていた。子宮はこっちの大学病院の婦人科に回してもらうか、以前、通ったクリニックで診てもらうか、とりあえず乳がん手術が落ち着いたら、経過観察の検査します。と伝え保留の形にした。担当医は初診時から泣き疲れた私、そして今回の号泣ぷりを見て「手術大丈夫かなー?耐えられる?心配だな・・・」「念のためにね、手術前に左胸のシコリも、針生検しときたいんだけど、大丈夫かな・・・泣かないかな」と担当医には私とは違う不安を与えてしまったよう。2日後針生検の予約を入れた。

 

次から次へと体が

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PET-CTを受ける4日前の夜突然の、吐き気と激しい下痢に襲われた。もう出すものもないのに治まらない。今まで経験したことのない痛み

日付が変わった深夜土曜日に大学病院へ電話を掛ける。

我慢できませんか?もうちょっと様子をみるとか。月曜日ならね外来で来て頂いて大丈夫ですから。先生は今緊急の検査に入ってるから、来てもすぐに見ることもできないし待つことになると思うんですよねー。家で横になって様子見てたほうがいいんじゃないかな。月曜日まで待てませんか?当直医は1人じゃないでしょ?と返すと、様子をしばらく見て、それでもダメだったら来ていただいくとか。月曜日なら通常の診察なので月曜日に来ていただくのがいいんですけどね・・。

ちなみに電話に出たのは医師ではなく、当直のオジサン?話すのも、長い拒否のいい訳を聞いてるのも辛いのでの診察番号と名前を告げ電話を切り横になる。

その後痛みは治まらず朝方、腸を絞られるような激しい痛みと共に下血。

スマホ充電器、下着、メガネ、使い捨てコンタクト、生理の気配もあったのでナプキンをカバンに詰めた。猛烈にお腹が痛いのに、クイックルワイパーで前かがみで床掃除、流し台を洗い、保険証券を机に置きタクシーで病院へ向かう。

緊急受付で話すことも立っていることもできず、ソファーに倒れ込む。電話に出たであろう当直のオジサンが、当直医に「とても具合がわるそうです。すぐいらしてください!」と内線で連絡すると医師が3名やって来た。

沢山いるじゃねぇーか・・・。女医先生までいる。お尻を出し綿棒で便の細菌検査するのは女医先生が対応してくれたので良かった。

採血やCT、点滴の処置をされ処置室で横になっている間、乳がんが腸に転移してるの?腫瘍マーカーの異常値は腸転移なのか?シコリを見つけてから1か月ちょっと、癌が回るのって早いんだな・・・。乳がんと腸の痛みを結びつける。

いつも血管が細くて採血が大変な私の腕。この時は衰弱して血管が余計にみつからないから「すみません、足からいきますね、ちょっと我慢してくださいね」と言われるがお腹の痛みで足の痛みも感じない。

その日の晩ご飯はイタリアンレストランで外食だった。魚貝などの生ものは食べてなく火が通ってないものはサラダの野菜くらい。一緒に食べた人は異常なし。

「脱水もひどいから今日は入院してもらうわ。ご家族に連絡とれる?」「家族はいません。独りで対応させてください」とそのまま絶食点滴のみで3日間入院した。吐き気や腹痛が治まればすぐ退院できるんだろうと思っていたけど翌日も入院と言われた時は

「私、火曜日にはPETーCT撮りに行かなきゃいけないので、それまでには退院させてください!」勝手に退院日を決める。

 

もともと入院中の月曜日には乳腺外来で翌日のPETーCTのための書類受け取り予約が入っていたので、車いすに乗せられ診察室へ。

「どーした?入院してるんだって?大丈夫か?」と担当医。「はい。下痢と嘔吐と下血しちゃった。〇〇先生にお世話になってます」と言うとそれを電子カルテに「下痢、嘔吐、下血しちゃった。」とそのまま記載している。「明日のPETどう行けそう?」「乳がん手術進まないもの。行きます!」と書類を受け取った。

乳腺外科の診察終了後、ほぼ水分のお粥を食べさせられ退院。白血球の数値も脱水もかなりひどかったから本当ならもう1日ほど入院して水分量を減らした粥→米と変更しても異常がないか見たいのよ。もう少し検査もね・・・と女医先生に言われるが、PET検査が終わらないと乳がんの治療が次へ進まない。これまで大きな病気だってしたことない体が、どうしてこんなことになっていくのか。夜は女医先生に言われたようにお粥を食べ翌日、所沢へPET-CTを撮りに向かった。