乳がんカフェ

2017年大きなシコリが出現し乳がん摘出手術を受けました。乳がん手術を終えても怖さはいつもどこかにあります。まだ慣れないシリコンおっぱいと共に、ひと息つきながら経過を綴っていきます

乳がん告知 悲しむ暇はない

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 細胞診、針生検から結果が出るまでの2週間、頭の中は乳がんのことばかり。乳がんの初期症状や良性腫瘍、乳腺症のことなどをたくさん検索した。

 「乳がんは痛くない」という検索結果を見ては、ジンジンと痛み続ける胸はやっぱり乳がんじゃないだ。と思ったり、まさか炎症性乳がん?と不安になったり。考えないようにしょうと思っても気づけば乳がんの検索魔、落ち着かない日々。

 

乳がんの告知

 

告知日、彼にも一緒に来てもらった。とりあえず私一人で診察室に入ると「こんにちは、お座りください」と腰を掛けた次には「先日の結果なんですが、やはり右は悪いものが見つかりました」とサラ~と告知が終わった。血の気が引くとかより内臓が口から出て来るような気分。待合室にいる彼を呼び話を一緒に聞いてもらう「左なんですが、クラス3という結果で、どっちつかずの結果です。ただ3でも3Aと3Bがあり3Aは2よりの方です。針生検の検査をした方がいいですね」

乳がんと聞いて怖さが湧いてきたが、一番心が動揺したのはどっちつかずの左胸。左も乳がん?2つの胸がなくなるの?結果待ちの長い2週間を過ごしたのに、はっきりしない結果に不安と気持ち悪さが倍増する。動揺している私に構わず、先生の話は続く。

 

「初診時、シコリのある右胸が痛いとおっしゃってましたけど、乳がんは痛みのない癌ですから」「でも、胸痛いんですけど。ジンジンする痛みが・・」と訴えている私の言葉を遮り「おかしいですね。乳がんは痛くないから」と痛みを否定。ジンジンと苦痛に感じる痛みを否定されることは、とても悲しかった。乳がんの告知では涙は出なかったけど、痛みを否定された時には、涙が滲んだ。

 

私の乳がんのタイプ

 

 右脇はエコーでも、シコリなどの転移も見られず、いまのところ針生検の結果では右胸は非浸潤性乳がん。ステージ0。もし浸潤があってもステージ1。乳がんのタイプはホルモン陽性、HER2陰性のホルモン剤がきくルミナールAタイプ。もし、投薬になっても、抗がん剤は使わずにホルモン剤で済む。

 

小さな胸は温存か全摘か

 

「右胸のしこりはエコーで確認すると、1.7センチ。温存手術という方法もありますが、その場合、その腫瘍だけをとるわけにはいかず、その周り2センチずつほど採る。その場合なんですけど・・・、体型的にスレンダーですし、温存すると、胸がかなり不格好になってしまうと思うんですね、今、手術的にはどう考えてますか?」と。

「先生、それだけの範囲とられたら、私の胸なくなります。それに、母親が乳がんだったので、どんなに小さなシコリでも癌だったら、全摘って決めていたので温存はしません」と告げた。

 

乳房再建は?

 

「乳房再建は希望しますか?」との質問に「希望します」と答えると

「再建方法もシリコンと自家組織を使う再建方法がありますが・・・自家組織だと、スレンダーだし・・・」と言葉を選んでいる。

 

「私、脂肪がないのでシリコンでの再建を考えています。貧乳でもシリコン再建できるんでしょうか?」それは大丈夫。との回答。

「再建術も乳がん摘出手術と同時にエキスパンダーを入れ込む一期二次再建と、乳がん手術後、改めて再建手術を行う二期二次再建がありますが、今、決めていたりしますか?」「乳がん手術と同時再建の方が、手術回数が少なくて済みますよね」と一期二次再建希望した。

 

手術を受ける病院は?

 

次は「手術する病院はどうしますか?」との質問。痛みを否定される時点でここで手術を受ける気はなく「どこの病院が実績や評判が良いとかあるんでしょうか?」と質問をしたが、考えると失礼だったかも。

「再建する方は、聖路加病院を希望する方は多いですよ。あとは国立がんセンター、癌研有明かな・・・ただ、今時期、どこも受診者が多いので手術までに時間が掛るかもしれない。特にこの3病院は」と。

この時期、小林麻央さんが亡くなって2か月ほど、乳腺外科はどこの病院でも混んでいるとのこと。

 

告知を受け悲しむ間もなく、次々と質問され、いろんなことを決めていかなければならない。聖路加病院もいいな。と思いながらも進行して浸潤し始める前に、早く取り除いてもらいたい。

手術日の待ち期間と診察の便利さで家の近くの大学病院に決めると、看護師さんがその場で大学病院に電話をし一週間後の予約を手配をしてくれた。大学病院での診察までの間に、こっちの病院で血液検査、CT、MRIを済せることにした。

 

私の乳がん告知は、次々と来る質問に悲しみも泣く暇もないまま、淡々と物事が進んで行ってしまった感じだった。